
生後間もない乳幼児は、自分と他者とを区別する自我境界が未確立であると言われている。彼らは、母親に依存し、
甘え、まつわりつき、抱かれることを欲求する。自我の発達と確立が未発達の彼らにとって、依存対象の中核的存在であ
る母親を失うことは、自己の存在を失うことと同様かあるいはそれ以上の危機を意味するのである。自我が正常に発達す
る場合は、外的現実に対して、過去の経験や記憶を照らし合わせ、現状を正しく認識し、おのれの行動を洞察し、自
分の置かれた境遇をある程度冷静に見つめ、行動を規制することができるようになる。また、現在の状況判断を踏まえた
うえで未来を展望する視点を開いてゆく。
このような自己同一性(アイデンティティー)が確立するためには、依存対象からの人格の分化と自立がなされていなけ
ればならない。そのためには、自他の境が設けられること、つまり自他の区別が明確化される必要がある。
ところが、分裂病にかかった患者さんの場合、存在自体が崩壊し始めるので、自他の境界、つまりその敷居自体がゆが
んだり、弱くなったり、ひびが入ったり、傷ついて壊れたりしてくるのである。その結果、「自分が自分に属さないような気がす
る」「今、自分がしゃべったことが自分でしゃべったように思えない」「自分の秘密が人に漏れてしまうような気がする」「自分
が頭で考えたことが、そのまま他人に読み取られたり広がったりしてしまう」「自分の考えが抜き取られたり、他人の考えが
吹き込まれたりする」「自分が他人に操られたりしているのではないか」と訴えるようになる。
(中略)
これまで、分裂病にかかった患者さんは、自らの居場所がなくなると感じていること、つまり、存在の基盤自体が崩壊の
危機に瀕していることを示してきた。このことを踏まえ、精神分裂病にかかった患者さんに対してどうかかわっていったらよい
か考えてみたいと思う。
まず、彼らが日常生活の中で居住する空間、つまり、家庭や職場や学校、あるいはディケアやクリニックや作業所が、居
心地のよい空間でなければならない。そこに行くと、ほっとできる場所、安心してくつろげる空間が必要である。流れている
時間がゆったりしていることが肌で感じられる場所でなければならない。いつも何か追い立てられ、せかせかとした気分にな
る場所であってはならない。心がなごみ、ゆっくりと休息できる空間である。
また、弱さを認め、無理をせず、痛みを共感できる人たちによって支えられている場が必要である。病気のままでよい、病
んでいても存在そのものが尊いのだということを認め、信頼し合う仲間や家族がいることが大切である。人と人との連帯感、
生に対する優しさが充満している空間が必要だ。
ある分裂病の患者さんは「だれかに自分を認めてもらいたい」「信頼できる人がそばにいれば恐ろしくない」「心が通じ合
う人であれば、そばにいてもらいたい」「できれば訪問してほしい」「話を聞いてくれる人が欲しい」と訴えた。また、「自分の
「存在」を確かめるために教会に行った」「そこで神さまのみことばに慰めを得た」「神さまのことばそのものが私にとって居場
所となった」と述べた患者さんもいる。「自分はさまよっている羊のような存在だ」「今は、初めて牧者のもとに帰って慰めを
得た」と語った方もいた。崩壊しつつある存在を支える空間と人と神のことばと愛が、このような人には必要なのである。
『百万人の福音』 平山正美 1997年 9月号
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